吾輩は猫である79(第二章完)

吾輩は猫である79(第二章完)

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「しかし猫でも坊さんの御経を読んでもらったり、戒名をこしらえてもらったのだから心残りはあるまい」
“虽说三毛是猫,不过我也请来和尚给她念了经,取了戒名,如此我心里就没什么遗憾了。”

「そうでございますとも、全く果報者でございますよ。ただ慾を云うとあの坊さんの御経があまり軽少だったようでございますね」
“可不是么,三毛有您这样的主人真是好福气。不过说起来,那个和尚的经念得也太短了点。”

「少し短か過ぎたようだったから、大変御早うございますねと御尋ねをしたら、月桂寺さんは、ええ利目のあるところをちょいとやっておきました、なに猫だからあのくらいで充分浄土へ行かれますとおっしゃったよ」
“没错,是太短了,我还特意问了问,结果月桂寺的和尚说,他特意挑的最管用的一段来念,对猫来说这段经已经足够让它超生了。”

「あらまあ……しかしあの野良なんかは……」
“哎哟真是的……不过那只野猫……”

吾輩は名前はないとしばしば断っておくのに、この下女は野良野良と吾輩を呼ぶ。失敬な奴だ。
我不只一次声明自己只是还没有名字,那个女仆却张口闭口称呼我为“野猫”,真是没礼貌。

「罪が深いんですから、いくらありがたい御経だって浮かばれる事はございませんよ」
“罪孽太深。就算给它念多好的经文,都升不了西天吧。”

吾輩はその後野良が何百遍繰り返されたかを知らぬ。吾輩はこの際限なき談話を中途で聞き棄てて、布団をすべり落ちて椽側から飛び下りた時、八万八千八百八十本の毛髪を一度にたてて身震いをした。その後二絃琴の御師匠さんの近所へは寄りついた事がない。今頃は御師匠さん自身が月桂寺さんから軽少な御回向を受けているだろう。
这之后她不止又叫了我多少遍“野猫”。这场谈话听起来没完没了,我准备尽早脱身。滑下垫子、从走廊上跳下来时,我浑身八万八千八百八十根毛齐刷刷竖起来,打了一个寒战。从那以后我再也没有接近过二弦琴师傅家。现在恐怕这位师傅自己正接受月桂寺和尚念的一段敷衍的冥福经文吧。

近頃は外出する勇気もない。何だか世間がものうく感ぜらるる。主人に劣らぬほどの無性猫となった。主人が書斎にのみ閉じ籠っているのを人が失恋だ失恋だと評するのも無理はないと思うようになった。
最近我连外出的勇气都没了,总觉得活在人世毫无意义。已经变成了懒惰程度不输于自家主人的萎靡猫。别人都说主人终日把自己关在书房里是因为失恋,现在看来不无道理。

鼠はまだ取った事がないので、一時は御三から放逐論さえ呈出された事もあったが、主人は吾輩の普通一般の猫でないと云う事を知っているものだから吾輩はやはりのらくらしてこの家に起臥している。この点については深く主人の恩を感謝すると同時にその活眼に対して敬服の意を表するに躊躇しないつもりである。御三が吾輩を知らずして虐待をするのは別に腹も立たない。今に左甚五郎が出て来て、吾輩の肖像を楼門の柱に刻み、日本のスタンランが好んで吾輩の似顔をカンヴァスの上に描くようになったら、彼等鈍瞎漢は始めて自己の不明を恥ずるであろう。
我还是没有捉过老鼠,导致有一阵女仆甚至提议把我逐出家门,还好主人替我撑腰,说我不是一只普通的猫,这才得以继续在这个家中混吃混喝。从这一点来说我还是非常感激主人的。主人慧眼识英才。可惜女仆有眼无珠,经常虐待我,不过我也不生气。不久,左甚五郎[1]就会重新出山,把我的肖像雕在城门楼柱之上;日本的斯坦伦[2]将荣幸之至,在画布上给我画素描。到那时候,这些有眼无珠之辈会因为自己的无知羞愧得无地自容吧!

[1]左甚五郎:江户初期著名的雕刻家。
[2]泰奥菲尔·亚历山大·斯坦伦(TheophileAlexandreSteinlen,1859-1923),瑞士出生的法国油画家,画作多以猫为主体,又被称为“猫画家”。
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