星の王子さま04

星の王子さま04

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BGM - nevva


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 こうして僕は、とても重要なふたつ目のことを知った。王子さまの故郷の星は、一軒家よりほんの少し大きいぐらいでしかない、ということを!

我由此也了解到第二个重大信息:他来的那个星球比一座房子大不了多少!


 だが、それほど驚きはしなかった。地球とか、木星、火星、金星のように、名前のある大きな惑星のほかに、望遠鏡でも見つけるが大変なようなほんの小さな星も、何百とあると知っていたからだ。そんな星を、天文学者が発見すると、名前のかわりに番号をつける。そうしてたとえば、<小惑星325>などというふうに呼ぶ。

这倒没有让我很吃惊。我知道除了地球、木星、金星这些已经被命名的大行星外,还有几百个小星球,它们有的很小,用天文望远镜也难以观察到。当一个天文学家发现了一颗星星,他就用一个数字去命名。比如他可以把它称作“325号小行星”。



 王子さまがやってきた星は、小惑星B612だろうと僕は思う。たしかな理由がいくつかあるのだ。この惑星は十九〇九年に、トルコの天文学者によって、望遠鏡で一度だけ観測された。

我有充分的根据认为小王子来的那个星球是小行星B612。这颗小行星只是在1909 年才被一位土耳其天文学家用望远镜观测到过一次。



そうしてその天文学者は、国際天文学会議で、自分の発見についてりっぱな発表をおこなったのだ。ところがそのときの服装のせいで、誰も信じてくれなかったのだ。おとなってそんなものだ。

他当时在一次国际天文学家代表大会上对他的发现做了重要论证。但因为他的穿着打扮,谁也不相信他。大人们总是这样。



 その後、小惑星B612に、名誉挽回の幸運が訪れた。トルコの独裁者が、国民にヨーロッパ風の服装を強調し、従わなければ死刑と決めたのだ。

幸好,为了小行星B612的声誉,一个土耳其独裁者强迫他的臣民穿欧式服装,否则就按死罪论处。


そこで十九二〇年、天文学者はとても洗練されたスーツで、もう一度発表をおこなった。

1920年,那位天文学家穿着优雅的服装,重新做了一次论证。



 すると今度は、彼の言うことを全員が認めたのである。

这次大家都同意了他的观点。


 小惑星B612について、こんなにくわしく話したり、番号まで明かしたりするのは、おとなたちのためだ。

我给你们讲关于小行星B612的这些细节,并告诉你们它的编号,那是因为这些大人的缘故。


おとなは数字が好きだから。新しいともだちのことを話しても、おとなは、いちばんたいせつなことはなにも聞かない。

大人们就喜欢数字。当你和他们谈起你的一个新朋友,他们从来不问实质性的问题


 「どんな声をしてる?」とか「どんな遊びが好き?」「蝶のコレクションをしてる?」といったことはけっして聞かず、

他们从来不说:“他的声音怎样啊?他喜欢哪些游戏呢?他收集不收集蝴蝶啊?”


「何歳?」「何人きょうだい?」「体重何キロ?」「おとうさんの収入は?」などと聞くのだ。そうしてようやく、その子のことがわかった気になる。

他们总问你:“他多大?有几个兄弟?他多重?他父亲挣多少钱?”他们自以为只有这样才算了解一个人。


もしおとなに「バラ色のレンガでできたすごくきれいな家を見たよ。窓辺にはゼラニウムがいっぱい咲いていて、屋根にはハトが何羽もいるんだ……」と話しても、おとなはうまく想像することができない。

如果你对大人们说:“我见到一所漂亮房子,红砖砌的,窗台摆着海棠花,屋顶憩着和平鸽。"他们无法想象这所房子。


それにはこう言わなくてはならないのだ。「十万フランの家を見たよ!」するとおとなたちは歓声をあげる。「それはすてきだろうね。」

“我看到一座价值十万法郎的房子。”于是他们惊呼:“多漂亮的房子啊!


 だから「王子さまは輝くばかりにかわいかったよ、笑ったんだよ、ヒツジをほしがってたよ。だから王子さまはいたんだ。ヒツジをほしがるのは、その人がいるっていう証拠だろ」と言っても、おとなたちは肩をすくめて、あなたを子どもあつかいするだけだろう!

所以,如果你对他们说“小王子存在的证据就是他可爱,他欢笑,他想要一只绵羊。当人想要一只绵羊,这就证明他存在”,他们肯定会耸耸肩,当你是小孩子!


ところがもし「王子さまは小惑星B612から来たんだ」と言ったなら、納得して、あとはあれこれ聞かずにほっておいてくれるだろ。

但你如果对他们说“他来的那个星球是小行星B612",他们就会信服,他们就不会再拿问题来烦你。


おとなってそんなものだ。でも悪く思ってはいけない。子どもはおとなに対して、広い心を持ってあげなくては。

他们就是这个样子。不要埋怨他们。对待大人,小孩子应该非常宽容大度。


 でも、僕らはもちろん、生きるというのがどういうことかわかっているから、番号なんてかまわない!僕はこの物語を、ほんとうはおとぎ話のように始めたかったのだ。こんなふうに。

当然,对我们这些懂得生活的人来说,我们才不管什么编号不编号呢!我本想像讲童话一样开始这个故事,我本想这样说:


 <むかしむかし、小さな王子さまがいた。王子さまは、自分よりわずかに大きいだけの星に住んでいた。そうして、友だちがほしかった……>生きるというのがどういうことかわかっている人たちには、このほうが、はるかにほんとうのように感じられただろうう。

“从前有个小王子,他住在一个比他大不了多少的星球上,他想找一个朋友……”对那些懂得生活的人来说,这样显得更加真实。


 というのも、僕は、この本を軽々しく読まれたくはないからだ。こうして思い出を語るのも、ほんとうはとてもつらい。僕の友だちがヒツジとともに行ってしまってから、もう六年にもなる。

毕竟我不喜欢别人漫不经心地读我的书。说起这些往事,我心里特别难受。我朋友带着他的绵羊离开已经有六年了。


こうして僕が今書いているのは、彼を忘れないためなのだ。友だちを忘れてしまうのは、悲しいから。友だちは、誰にもいるわけではないから。

我现在之所以试着去描写他,就是为了不忘记他。忘记一个朋友是件可悲的事情。并不是所有人都有过朋友。


そして僕だって、数字にしか興味のないおとなになってしまうかもしれないから。絵の具箱と色えんぴつを買ったのも、そのためだ。

再说,我或许也会变得像那些大人一样,只对数字感兴趣。就因为这个,我买了一盒颜料和几支铅笔。


この年で絵をまた始めるというのは、大変なことだ。特に六歳で、なかが見えないボアと見えるボアを描いて以来、なにひとつ描いてみることのなかった者には!

在我这样的年龄,重新开始学画画可真不容易,况且除了六岁时画过关着肚皮和开着肚皮的巨蟒外,我就再没有尝试画过画。


もちろん、できるだけ似ている肖像画を描こうと、これからもがんばってはみる、でもうまくいくかどうかは、あまり自信がない。まあまあのが一枚描けても、次のはもうだめだったりするのだ。

当然,我会尽量画得逼真,但我自己也不肯定能否做到。这一幅画得还过得去,但另一张就不大像了。


王子さまの背かっこうがまたむずかしい。こっちの絵では大いすぎるし、あっちのでは小さすぎる。あの衣装の色にも迷ってしまう。

还有,我对他的身材也吃不准,这里小王子画得太高大,那里又嫌太矮小。我对他衣服的颜色也拿不准。


こんなふう、あんなふうと、どうにかこうにかやってみる。それども結局、もっと大事などこかの部分を、まちがえてしまいそうだ。

于是我也只好自己瞎琢磨琢磨,这样改改那样试试了。或许到头来我画错了几个重要细节。


でも、そこのところは勘弁してほしい。僕の友だちは、説明というものを一度もしてくれなかったのだから。たぶん、僕も自分と同じだと思ったのだろう。

但这得原谅我。我的朋友从来不解释。他或许以为我和他一样。


けれども僕は、残念ながら、木箱のなかのヒツジを見ることはできない。

可惜我不会透过箱子看到绵羊。


たぶん、僕はもう、おとなたちと多少同じなのだろう。いつのまにか僕も、年をとってしまったにちがいない。

可惜我不会透过箱子看到绵羊。我或许有点像那些大人了。我一定是老了。


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