< 世界から猫が消えたなら >
朗读 : 小野大辅
水曜日 世界から映画が消えたなら【02】
困り果てた僕はツタヤを訪ねることにした。 ツタヤとは店ではなく、人である。 え、ちょっと日本語がおかしいって? 言い直そう。 困り果てた僕は、近所にある老舗のレンタルビデオ屋(ちなみにTSUTAYA ではない)で働く、中学からの親友(映画事典みたいな男なのであだ名をツタヤという)を訪ねることにした。 ツタヤはかれこれ十年以上、このレンタルビデオ屋(繰り返すが TSUTAYAではない)で働いている。おそらく彼は人生の半分をレンタルビデオ屋で過ごしているはずだ。そして残りの半分は映画を観ている。つまりは眠っている時間以外はすべて映画に捧げている。100%全身映画オタクだ。
Phoebe_vmb 回复 @传说中的小满满: あざーす
生きること、泣くこと、叫ぶこと、恋すること、バカバカしいこと、悲しいこと、嬉しいこと、恐ろしいこと、笑えること。美しい歌、涙が出るような景色、吐き気、歌う人たち、空を飛ぶジェット機、駆ける馬、美味しそうなパンケーキ、漆黒の宇宙、銃を撃つカウボーイ。 ともにその映画を観た、恋人や友達や家族との思い出を内包して、僕のなかに住みついている映画たち。僕を形作ってきた無数の映画の記憶。そのどれもが美しく、涙が出そうになる。 数珠のように映画はつながっていく。人間の希望や絶望をつなぎ、紡いでいくのだ。やがて無数の偶然が折り重なって、ひとつの必然となる。
还是基友好啊
そうや、いのち ゆうせんか。 このせかいにあるほとんどのものがあってもなくてもいいもの。
心の中で抑えつけていた感情が急にせり出してきて、涙がこみあげてくる。 「ありがとう」 僕はなんとか言葉を絞り出した。 「と、とにかく生きていて欲しいんだ」 ツタヤは泣きながら言う。 「泣くなよ、ツタヤ。何かいい物語があって、それを語る相手がいる。それだけで人生は捨てたもんじゃない。『海の上のピアニスト』で言ってただろ。いまの僕にとって、ツタヤ、君こそがそんな相手で、君がいるから人生はまだまだ捨てたもんじゃないって思えるんだ」 「あ、ありがとう」 ひと言そう言うと、ツタヤは黙って泣き続けた。