けさ、電車で隣り合せた厚化粧のおばさんをも思い出す。ああ、汚い、汚い。女は、いやだ。自分が女だけに、女の中にある不潔さが、よくわかって、歯ぎしりするほど、厭だ。金魚をいじったあとの、あのたまらない生臭さが、自分のからだ一ぱいにしみついているようで、洗っても、洗っても、落ちないようで、こうして一日一日、自分も雌の体臭を発散させるようになって行くのかと思えば、また、思い当ることもあるので、いっそこのまま、少女のままで死にたくなる。ふと、病気になりたく思う。うんと重い病気になって、汗を滝のように流して細く痩《や》せたら、私も、すっきり清浄になれるかも知れない。生きている限りは、とてものがれられないことなのだろうか。しっかりした宗教の意味もわかりかけて来たような気がする。
バスから降りると、少しほっとした。どうも乗り物は、いけない。空気が、なまぬるくて、やりきれない。大地は、いい。土を踏んで歩いていると、自分を好きになる。どうも私は、少しおっちょこちょいだ。極楽トンボだ。かえろかえろと何見てかえる、畠の玉ねぎ見い見いかえろ、かえろが鳴くからかえろ。と小さい声で唄ってみて、この子は、なんてのんきな子だろう、と自分ながら歯がゆくなって、背ばかり伸びるこのボーボーが憎らしくなる。いい娘さんになろうと思った。
想起了今天早晨在电车上和我坐在一起的那个化大浓妆的大妈。啊,脏,脏。女人真讨厌。正因为自己也是女人,所以也就更了解女人体内的那些不洁,厌恶得咬牙切齿。就像是拨弄完金鱼之后留下的那种让人无法忍受的腥味沾满了自己的身体,再怎么洗都洗不掉,这样日复一日,自己也会逐渐散发出雌性气味的吧。一想到这里,再加上还预想到了一些别的事情,就觉得干脆在现在这样的少女时代死掉算了。突然很想得病。得那种很重很重的病,大汗像瀑布一般流出,身体又瘦又弱,这样的话或许我也能彻底变得洁净起来吧。只要活着,终究是难以幸免的。感觉好像都有点理解那艰深的宗教意义了。
从公交车上下来,稍稍松了口气。车子之类的实在坐不下去了。空气潮热,受不了。还是大地好。踩在泥土上走着走着就喜欢上了自己。我真是有点肤浅。自在懒散。“回家吧,回家吧,看着什么回家呢?看着地里的洋葱回家去,青蛙都叫了,快快回家吧。”小声地哼起歌来。这孩子可真是无忧无虑呢,连我自己都懊恼起来,觉得这个只会长个儿的自己令人嫉妒。我决定要做个好女孩。
注:
此句出自日本童谣《回家吧回家吧》(《かえろかえろと》),创作于1925年,北原白秋作词,山田耕筰作曲。
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