第5回 心配は必要?(焦虑真的有必要吗)(附文本及译文)

第5回 心配は必要?(焦虑真的有必要吗)(附文本及译文)

00:00
03:39

『谷川俊太郎質問箱』

(読者からメールで届く質問に詩人の谷川さんが回答をしていく)

質問:

ぼくは心配性(しんぱいしょう)なところがあります。

要(い)らない心配(しんぱい)をどんどんすることで、時間(じかん)が過(す)ぎていってしまいます。

心配がなかったら、何(なに)も考(かんが)えずにすむので、

すぐに作業(さぎょう)に移(うつ)ることができます。

心配は、多(おお)かれ少(すく)なかれ、

皆(みんな)がすることだと思(おも)いますが、

果(は)たして必要(ひつよう)なんでしょうか。(スチャダラパー ボーズ 38歳)


谷川さんの答:

心配にも過去形(かこけい)と未来形(みらいけい)の二種類(にしゅるい)があって、ひとつはもうすんだことにくよくよする心配(しんぱい)、例(たと)えば鍵(かぎ)かけてきたっけ?とか、

あのときやさしくしなかったから

あいつ怒(おこ)ってるんじゃないか?というような心配。

もうひとつはまだおこってないことにドキドキする心配(しんぱい)、例えば舞台(ぶたい)でセリフが出(で)てこなくなったらどうしようとか、

なんだか体(からだ)がだるい、糖尿病(とうにょうびょう)になるんじゃないかというような心配。

これで分かるように人間(にんげん)が心配できるのは、過去(かこ)か未来(みらい)のどちらかに限(かぎ)っていて、現在(げんざい)は心配できないんです。

時間(じかん)の観念(かんねん)のないキリンは心配しません、

タヌキもオットセイもトンボも、

生(い)きている「このいま」しかないから心配しないんじゃないかと思います。




余(あま)った時間(じかん)は本当(ほんとう)に必要(ひつよう)な心配、たとえば自分(じぶん)の老後(ろうご)の心配などに使(つか)ったらどうでしょうか。

 『谷川俊太郎質問箱』(現代を代表する詩人の一人。O型)



《参考译文》(本期翻译-粉丝喵小喵21,批改-海冬)

提问:


自己容易处于焦虑的状态。

经常会为无关紧要的事情而焦虑不已,时间就这样白白地流逝掉了。

如果能够不再无端地焦虑,就能收拾心神,专注于工作了。

但是又觉得每个人都会或多或少地有焦虑的时候,

这种焦虑真的是有必要的吗?(Schadaraparr bose 38岁)

谷川先生的回答:

焦虑可以分成过去时和将来时的两种。

一种是对已经发生的事情焦虑不安,比如门锁了吗?那时候态度不够好,对方会不会在生气啊?

另一种是对还没有发生的事情紧张焦虑。比如在舞台上忘记了台词怎么办?最近老是觉得身体容易累,会不会得糖尿病?

由此可见,人类的焦虑主要表现在对过去或对将来的事情上,对当下的事情却不会去焦虑。

而没有时间概念的长颈鹿不会焦虑,同样那些只活在当下的动物,如狸子,水獭,蜻蜓,也都不会有焦虑的情感。

如果能像动物们一样对当下的事情全力以赴,对于那些无关紧要的事情,也就不会再去焦虑了。有多余的时间,也要用在真正需要担心的事情上,比如老了以后日子怎么过。

以上内容来自专辑
用户评论
  • 喵小喵21

    動物のように現在に全力投球すればいらない心配はいらなくなります

    rika在福冈 回复 @喵小喵21: 正解!引き続き頑張ってください。次回は他の作家の文章になります。よろしくお願いします。