2018年六月二十九日 金曜日
宇宙人の話が好まれるのは、人類が寂しい存在だからだ。そう教えてくれるのが谷(たに)川(かわ)俊(しゅん)太(た)郎(ろう)さんが1950年に書いた「二十億光年の孤(こ)独(どく)」である。〈人類は小さな球(きゅう)の上で/眠(ねむ)り起(お)きそして働き/ときどき火(か)星(せい)に仲間を欲しがったりする〉▼
火星人などいない。それが分かった今も、広い宇宙のどこかに生命、あるいは生命が生まれる可能性があるかもしれないと探(たん)査(さ)は続いている。日本の無(む)人(じん)機(き)「はやぶさ2」が3年半かけて、太陽系の小(しょう)惑(わく)星(せい)リュウグウに到着した▼
その名前が竜(りゅう)宮(ぐう)城から付けられたのは、水分が含まれると期待されるからだ。有機物もあるかもしれないという。生命そのものでなくても生命の元となるものが見つかるなら、大きな発(はっ)見(けん)となる▼
水や有機物は、地球で自然にできたのか、それとも宇宙から隕石(いんせき)で運ばれてきたのか。科学の世界には、二つの説がある。隕(いん)石(せき)は小惑星の破(は)片(へん)だから、リュウグウで見つかったものが地球にある隕石と一致するなら、宇宙由来説の支えになる。生命は地球特有の現象ではない、との見方につながるか▼
知的生命体との接触も科学者たちは諦めていない。米国が中米に設けたアレシボ電(でん)波(ぱ)天(てん)文(もん)台(だい)では、遠い星からの信号に耳をすましている。ET探しと銘(めい)打(う)たれた息の長い事業である▼
谷川さんは火星人の方(ほう)も、〈ときどき地球に仲間を欲しがったりする/それはまったくたしかなことだ〉と書いている。私たちに見つかるのを待っている生命体が、どこかにいるだろうか。
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