われらのラッセル我们的罗素哲学177(第14章9段落①)

われらのラッセル我们的罗素哲学177(第14章9段落①)

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<LeoNRadio日の出 われらのラッセル哲学第177回『哲学の諸問題』

"The problems of philosophy" by Bertrand Russell(第14章9段落①)

ラジオ収録20240904

「レオンラジオ日の出」テーマ曲 作詞作曲 楠元純一郎 OP「水魚の交わり」ED 「遺伝子の舟」司会 楠元純一郎(法学者) 日本語訳 楠元純一郎 中国語訳 レオー(美術家・録音師) 本語訳監修 松尾欣治(哲学者)福留邦浩(国際関係学者)

What has happened in the case of space and time has happened, to some extent, in other directions as well.

空間と時間の事例で起きたことは、もちろん、ある程度、他の方向でも起きてきた。

在空间和时间中所发生的情况,在别的方面也已相当程度地出现了。

The attempt to prescribe to the universe by means of a priori principles has broken down; logic, instead of being, as formerly, the bar to possibilities, has become the great liberator of the imagination, presenting innumerable alternatives which are closed to unreflective common sense, and leaving to experience the task of deciding, where decision is possible, between the many worlds which logic offers for our choice.

したがって、アプリオリの(先験的)原則で宇宙のことを処方しようとする試みは失敗した。すなわち、論理は、以前は可能性の障害であったが、想像力の大いなる解放者となった。その際、内省的でない常識に近い多くの選択肢を示しながら、また、決定が可能である場合、論理が我々の選択のために提示する多くの世界の中で、決定の作業を経験に委ねながら、そのようになったのである。

想用先验的原则来给宇宙加以规范的企图已经破产。逻辑已不像过去那样是各种可能性的阻碍,而成为了人们想象力的伟大解放者:它提供无数的方法,都不是不假思索的常识所能够理解的;它并且把抉择的重任留给了经验,在有抉择可能的时候,让经验来在逻辑所提出的那许多世界之中为我们做出抉择。

Thus knowledge as to what exists becomes limited to what we can learn from experience—not to what we can actually experience, for, as we have seen, there is much knowledge by description concerning things of which we have no direct experience.

かくして、存在するものについての知識は、経験から学び得るものに限られるのであって、実際の経験できることに限られるのではないのである。なぜならば、我々はすでに見てきたように、我々が直接経験したことのないことに関する記述による多くの知識が存在するからである。

这样,关于一切存在的知识,就只限于我们从经验所能够知道的东西,——而不是限于我们所能实际经验到的东西了;因为我们已经明了,有许多描述的知识是论及我们并没有直接经验的事物的。



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