2022/05/07/星野日语/太宰治《人间失格》

2022/05/07/星野日语/太宰治《人间失格》

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出自:微信公众号:

星野日语九点半夜读

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また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿な意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。小学校、中学校、自分が学校から帰って来ると、周囲の人たちが、それ、おなかが空いたろう、自分たちにも覚えがある、学校から帰って来た時の空腹は全くひどいからな、甘納豆はどう?カステラも、パンもあるよ、などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかが空いた、と呟いて、甘納豆を十粒ばかり口にほうり込むのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。

还有,我不知道空腹是一种什么样的感觉。那意思不是说我生长在一个不愁衣食住的家庭这种愚蠢的意思,只是我完全不知道空腹是什么样的感觉。虽然这是奇怪的说法,但是即便我是肚子饿,我自己也察觉不出。我还记得,小学,中学的时候,我放学回家,周围的人就开始唠叨说,啊,你们觉得饿了吧,放学回来最容易觉得饿了,吃甜纳豆吗,蛋糕,面包也有哦等开始吵闹起来。我发挥自己与生俱来的阿谀奉承的性格,小声念道,饿了饿了,然后就把十颗甜纳豆塞进嘴巴里,但是何为空腹感,一点也不明白。



自分だって、それは勿論、大いにものを食べますが、しかし、空腹感から、ものを食べた記憶は、ほとんどありません。めずらしいと思われたものを食べます。豪華と思われたものを食べます。また、よそへ行って出されたものも、無理をしてまで、たいてい食べます。そうして、子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事の時間でした。

当然,我的饭量很大。但是因为感到空腹感而吃东西的记忆大概没有。我吃众所认同的山珍海味,也吃丰盛佳肴,连到别人家时被招呼的食物我都会勉强吃完。对于小时候的我来说,最痛苦的时刻是在自己家吃饭之时。



自分の田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお膳を二列に向い合せに並べて、末っ子の自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。それに田舎の昔気質の家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分は食事の時刻を恐怖しました。自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種の儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんを噛みながら、うつむき、家中にうごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。

在自己的乡下的家里,一家子十个人左右各自拿着自己的餐具饭菜相对排成两列,老幺的我当然是在最后面的座位。那个吃饭的房间阴暗,看到十几人的家庭沉默不语地吃着中午饭或其他的情景,我感到毛骨悚然。而且因为是传统家庭,所以配菜的款式大部分都是一成不变的,什么稀奇罕见,豪华昂贵之物通通都没有,渐渐地我对饭点产生了恐惧感。我坐在那间阴暗的房间的最后的座位上,为那股寒冷阵阵发抖,我一点点地把饭送到口边,硬塞进去。我在想人为什么要一日三餐呢。我甚至还想到其实,大家摆着一副严肃的脸,这也是一种仪式。因此家人们每日三次,在规定的时间里聚集在阴暗的一间房间里,按顺序摆好餐具饭菜,即使是不想吃也要缄口不语地咀嚼饭菜,向低着头在家中蠢动的幽灵们祈祷。



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用户评论
  • 听友403853488

    すごい

    星野日语 回复 @听友403853488: 谢谢