第4章 名家名篇\第4章88ある恋の話

第4章 名家名篇\第4章88ある恋の話

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祖母は、やっと娘になったかならないかの十四五の時から、蔵前小町と云う喧しい評判を立てられたほどあって、それはそれは美しい娘であったそうです。が、結婚は頗る不幸な結婚でありました。十七の歳に深川木場の前島宗兵衛と云う、天保頃の江戸の分限者の番付では、西の大関に据えられている、千万長者の家へ貰われて行ったのですが、それは今で云う政略結婚で、その頃段々と家運の傾きかけた祖母の家では前宗(前島宗兵衛)に、十万両と云う途方もない借財を拵えていましたが、前宗と云う男が、聞えた因業やで、厳しい督促が続いたものですから、祖母の父はその督促除けと云ったような形で、また別の意味では借金の穴埋めと云ったような形で、前島壮平衛が後妻を探しているのを幸に、大事な可愛い一人娘を犠牲にしてしまったのです。


何でも祖母が結婚した時、相手の宗兵衛は四十七だったと云うのですから、祖母とは三十違いです。それに、先妻の子が男女取り混ぜて、四人もあったのですから、祖母の結婚生活が幸福でなかったのは勿論であります。その上、宗兵衛と云う男が、大分限者の癖に、利慾一点張りの男だったらしいから、本当の愛情を祖母に注がなかったのも、尤もであります。その上、借金の抵当と云ったような形ですから、金で自由にしたのだと云う肚がありますから、美しい玩具何かのように愛する代わりに弄び苛んだのに過ぎませんでした。その頃まだ十七の真珠のように、清浄な祖母の胸に、異性の優しい愛情の代わりに、異性の醜い圧迫や怖しい欲情などが、マザマザと、刻みつけられた訳でした。が、幸か不幸か、結婚した翌年宗兵衛は安政5年のここり大流行(今で云うコレラ)で、不意に死んでしまいました。






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