第一章、鉄のわな(下)

第一章、鉄のわな(下)

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それにしても、待たれるのは、長男壮一君の帰宅でした。徒手空拳(としゅくうけん)、南洋の島へおしわたって、今日(こんにち)の成功をおさめたほどの快男児ですから、この人さえ帰ってくれたら、家内のものは、どんなに心じょうぶだかしれません。
 さて、その壮一君が、羽田(はねだ)空港へつくという日の早朝のことです。
 あかあかと秋の朝日がさしている、羽柴家の土蔵(どぞう)の中から、ひとりの少年が、姿をあらわしました。小学生の壮二君です。
 まだ朝食の用意もできない早朝ですから、邸内はひっそりと静まりかえっていました。早起きのスズメだけが、いせいよく、庭木の枝や、土蔵の屋根でさえずっています。
 その早朝、壮二君がタオルのねまき姿で、しかも両手には、何かおそろしげな、鉄製の器械のようなものをだいて、土蔵の石段を庭へおりてきたのです。いったい、どうしたというのでしょう。おどろいたのはスズメばかりではありません。
 壮二君はゆうべ、おそろしい夢をみました。「二十面相」の賊が、どこからか洋館の二階の書斎へしのびいり、宝物をうばいさった夢です。
 賊は、おとうさまの居間にかけてあるお能の面のように、ぶきみに青ざめた、無表情な顔をしていました。そいつが、宝物をぬすむと、いきなり二階の窓をひらいて、まっくらな庭へとびおりたのです。
「ワッ。」といって目がさめると、それはさいわいにも夢でした。しかし、なんだか夢と同じことがおこりそうな気がしてしかたがありません。
「二十面相のやつは、きっと、あの窓から、とびおりるにちがいない。そして、庭をよこぎって逃げるにちがいない。」
 壮二君は、そんなふうに信じこんでしまいました。
「あの窓の下には花壇がある。花壇がふみあらされるだろうなあ。」
 そこまで空想したとき、壮二君の頭に、ヒョイと奇妙な考えがうかびました。
「ウン、そうだ。こいつは名案だ。あの花壇の中へわなをしかけておいてやろう。もし、ぼくの思っているとおりのことがおこるとしたら、賊は、あの花壇をよこぎるにちがいない。そこに、わなをしかけておけば、賊のやつ、うまくかかるかもしれないぞ。」
 壮二君が思いついたわなというのは、去年でしたか、おとうさまのお友だちで、山林を経営している人が、鉄のわなを作らせたいといって、アメリカ製の見本を持ってきたことがあって、それがそのまま土蔵にしまってあるのを、よくおぼえていたからです。
 壮二君は、その思いつきにむちゅうになってしまいました。広い庭の中に、一つぐらいわなをしかけておいたところで、はたして賊がそれにかかるかどうか、うたがわしい話ですが、そんなことを考えるよゆうはありません。ただもう、無性(むしょう)にわなをしかけてみたくなったのです。そこで、いつにない早起きをして、ソッと土蔵にしのびこんで、大きな鉄の道具を、エッチラオッチラ持ちだしたというわけなのです。
 壮二君は、いつか一度経験した、ネズミとりをかけたときの、なんだかワクワクするような、ゆかいな気持を思いだしました。しかし、こんどは、相手がネズミではなくて人間なのです。しかも「二十面相」という希代(きだい)の怪賊なのです。ワクワクする気持は、ネズミのばあいの、十倍も二十倍も大きいものでした。
 鉄わなを花壇のまんなかまで運ぶと、大きなのこぎりめのついた二つのわくを、力いっぱいグッとひらいて、うまくすえつけたうえ、わなと見えないように、そのへんの枯れ草を集めて、おおいかくしました。
 もし賊がこの中へ足をふみいれたら、ネズミとりと同じぐあいに、たちまちパチンと両方ののこぎりめがあわさって、まるでまっ黒な、でっかい猛獣の歯のように、賊の足くびに、くいいってしまうのです。家の人がわなにかかってはたいへんですが、花壇のまんなかですから、賊でもなければ、めったにそんなところへふみこむ者はありません。
「これでよしと。でも、うまくいくかしら。まんいち、賊がこいつに足くびをはさまれて、動けなくなったら、さぞゆかいだろうなあ。どうかうまくいってくれますように。」
 壮二君は、神さまにおいのりするようなかっこうをして、それから、ニヤニヤ笑いながら、家の中へはいっていきました。じつに子どもらしい思いつきでした。しかし少年の直感というものは、けっしてばかにできません。壮二君のしかけたわなが、のちにいたって、どんな重大な役目をはたすことになるか、読者諸君は、このわなのことを、よく記憶(きおく)しておいていただきたいのです。

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