自分はなれる場所でもあり, ただもう恐ろしく、腕を組んだりほどりたりして、それこそ, はにかむような微笑ばかりしていましたが、ビールを二、三杯飲んでいるうちに, 妙に解放せられたような軽さをかんじてきたのです。
「僕は、美術学校に入ろうと思っていたんですけど、……」
「いや、つまらん。あんなところは、つまらん。学校は、つまらん。われらの教師は自然の中にあり!自然に対するパアトス!」
しかし、自分は、彼の言う事に一向に敬意を感じませんでした。
馬鹿な人だ、絵も下手に違いない、しかし、遊ぶのには、いい相手かも知れないと考えました。
つまり、自分はその時、うまれてはじめて、ほんものの都会の与太者を見たのでした。
それは、自分と形は違っていても、やはり、この世の人間の営みから完全に遊離してしまって、
戸惑いしている点に於いてだけは、たしかに同類なのでした。そうして、彼はそのお道化を意識出ずに行い、しかも、そのお道化の悲惨に全く気が付いていないのが、自分と本質的に異色のところでした。
ただ遊ぶだけだ、遊びの相手として付き合っているだけだ、とつねに彼を軽蔑し、ときには彼との交友を恥ずかしくさえ思いながら、彼と連れたって歩いてうちに、結局、自分は、この男にさえ打ち破れました。
しかし、初めは、この男を好人物、まれに見る好人物ばかり思い込み、さすが人間恐怖の自分も全く油断をして、東京の良い案内者ができた、くらいに思っていました。じぶんは、じつは、ひとりでは、でんしゃにのると車掌が恐ろしく、歌舞伎座へ入りたくても、あの正面玄関の緋の絨毯が敷かれてある階段の両側に並んで立っている案内嬢たちが恐ろしく、レストランへ入ると、自分の背後にひっそり立って、皿の空くのを待っている給仕のボーイが恐ろしく、殊にも勘定を払うとき、ああ、ぎごちない自分の手つき、自分は買い物をしてお金を手渡すときには、吝嗇ゆえでなく、あまりの緊張、あまりの恥ずかしさ、あまりの不安、恐怖に、くらくらめまいして、世界が真暗になり、ほとんど半狂乱の気持ちになってしまって、値切るどころか、お釣りを受け取るのを忘れるばかりでなく、買ったしなものを持ち帰るのを忘れたことさえ、しばしばあったほどなので、とても、ひとりで東京の街を歩けず、それで仕方なく、一日いっぱい家の中でごろごろしていたという内情もあったのでした。
それが、堀木に財布を渡して一緒に歩くと、堀木は大いに値切って、しかも遊び上手というのか、僅かなお金で最大な効果のあるような支払い振りを発揮し、また、高い円タクは敬遠して、電車、バス、ポンポン蒸気など、それぞれ利用し分けて、最短時間で目的地へ着くという手腕も示すし、淫売婦の所から朝帰る途中には、何々という料亭に立ち寄って、朝風呂へ入り湯豆腐で軽くおさけをのむのが、安い割に、ぜいたくな気分になれるものだと実地教育をしてくれたり、その他、屋台の牛めし焼き鳥の安価にして滋养に富む物たる事を説き、酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証し、とにかくその勘定については自分に、一つも不安、恐怖を覚えさえた事がありませんでした。
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