2022/05/08/星野日语/横光利一《作家的生活》

2022/05/08/星野日语/横光利一《作家的生活》

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出自:微信公众号:

星野日语九点半夜读

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これは作家の生活を中心とした見方の一例にまで書くのであるが、『春琴抄』という谷崎氏の作品を読むときでも、私も人々のいうごとく立派な作品だと一応は感心したものの、やはりどうしても成功に対して誤魔化しがあるように思えてならぬのである。題材の持ち得る一番困難なところが一つも書いてはなくて、どうすれば成功するかという苦心の方が目立ってきて、完璧になっている。いいかえれば一番に失敗をしているのだ。佐助の眼を突く心理を少しも書かずに、あの作を救おうという大望の前で、作者の顔はこの誤魔化しをどうすれば通り抜けられるかと一身に考えふけっているところが見えてくるのである。

这是以作家的生活为中心的观点而写的一个例子,即便读谷崎先生的作品《春琴抄》的时候,我也和人们说的那样,觉得是一部优秀的作品,但是,对于是一部成功的作品而言,还是认为有点勉强。该题材应有的最难描述的地方一个也没有写到,尤为突出之处即为如何获得成功而费尽心思,力求完美。换言之,这是最失败之处。他对佐助刺瞎双目的心理一点儿都没有描述,可以看出作者为了他意欲拯救这部作品的强烈愿望,把自己的全部心思都花在了如何能够搪塞过去之事中。



佐藤春夫氏は極力作者に代って弁解されたが、あの氏の弁明は要するに弁明であって、自然はそんなことを赦すはずがないと思う。次ぎの『顔世』はあのような失敗の作である。もし佐藤氏の弁明が弁明でないなら、自作の顔世があのようなおどけた失敗はするものではない。もっと理由のある失敗をするはずである。一作は次ぎの一作とは全く独立はしているとしても、作者の意識というものは左様に都合よく独立し得られるものだとは私には思えない。『春琴抄』における眼を突く時間の早さについてうんぬんしたのも、私にはここに意見があったのである。

佐藤春夫先生曾极力为作者进行辩解,然而这位先生的辩解终归止于辩解而已,当然不可能将这样的事实免除。谷崎先生的下一部作品《颜世》即为那样的失败作品。如果没有佐藤先生的辩解,也许他自己写的《颜世》还未必会出现那种不合常理的失败。失败也应该是更有理由才对。虽然第一个作品与第二个作品是完全独立的,但是作者的意识这种东西,却并非是能够恰当地完全独立起来。在《春琴抄》中,关于刺瞎眼睛时间的早晚含糊其词,我所持的意见也正在于此。



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  • 听友403853488

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