日本获奖散文《便当》(御弁当)
吉田真弥(15歳 高中生)
私はなかなか約束を守り抜くことができない。それを知っているようで、両親はあまり私と約束をしたがらない。でも、私が中学三年生で受験期に入った頃、母から一方的に一つの約束をしてきた。
「高校生になったら、お母さんが仕事休みの火曜日以外は自分で弁当作っていくんだよ。」と。私は「高校生になったら朝がもっと忙しくなるだろうし、お兄ちゃんは作ってもらっているのに、なんで自分だけやらなきゃいけないの?」と本気で思った。
四月、無事志望校に入学した。夢に見た高校生活が始まり、退屈な弁当作りも始まった。朝起きて背伸びをする間もなくキッチンに向かう。すると、母が卵焼きを作って置いてくれていた。弁当箱に半分ご飯を詰めておかずを詰める。もちろん卵焼きも入れた。全然うまく入ってくれないし、そもそも何を入れたら良いのかも分からない。気がついたらもう時間が迫っていて朝テストの勉強もできない。そして極めつけは、お昼時間になって弁当を開けたときに楽しくないのである。だんだん母に弁当を作ってもらえる火曜日が待ち遠しくなってきた。そして、自分がどんなに手抜きをした弁当でも、いつも変わらずにおいしい母の卵焼きへのありがたさも感じるようになった。
自分で弁当を作り始めてから約半年が過ぎたある日の昼食時間。同じクラスの一人がぽろっと言い放った一言が私の耳に刺さった。
「このおかず苦手なんだけどな。弁当に入れないでほしいよ。」
これまでの自分だったら「人には誰だって好き嫌いがあるもんね。そう口に出してしまっても仕方がない」と思っていたかもしれない。だが、あの日は違った。「朝早くから起きて親が作ってくれた弁当に文句を言うくらいだったら、自分で作ってみたらどうですか?」こう思ってしまった。以前よりも、細かい事にきれやすくなってしまったのかと悲しくなったが、それは違う、そうじゃないと気がついた。中学生までは、大会や遠足の日などの弁当は母に作ってもらうのが当然だと思っていたし、実に、母も「自分で作って」なんて言わなかった。あのときの自分は、作ってくれた弁当に対して、
「少し量が足りなかった」
だとか、
「今日の卵焼き、しょっぱかった。ダシの量が多かったんじゃない?」
とかと、生意気なことを言っていた。このことを思い出したら、急に母に謝りたくなった。
中学三年生のあの日、母が私にあの「御弁当の約束」をしてくれなかったら、きっと高校生の今になっても、親が弁当を作ってくれるのはありがたいことだということを深く感じることはできなかったと思う。私が一番好きな母の料理は「卵焼き」だと確信することもなかっただろう。
今、私は高校卒業後は大学進学をしたいと考えている。県内とは限らない、私が学びたいことを学べる大学なら、関東まで行ってもいいと思っている。つまり、あと二年と少しで、私は一人暮らしをする確率が高いということである。ゴキブリが出たら対処できる自信はないし、部屋をきれいに保てる自信もないけれど、どんなに一人が辛くなっても、毎日の食事管理だけは怠らない自信がある。なぜなら、あんなに約束を守れなかった私が、自分で弁当をつくるという母との約束を、高校入学からこれまで大切に守ってくることができたのだから。
私を少し大人にしてくれた、作る人が御弁当に込める思いを教えてくれたあの約束を忘れない。
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