第25課ーやめようか続けようか決めかねていました
先日、友人を訪ねて岐阜に行きました。待ち合わせの時間まで少し時間があったので、街をぶらりと歩いてみることにしました。古い和傘の店があったので入ってみると、「いらっしゃいませ」と元気な声で店の主人が迎えてくれました。今年79歳になる主人の加藤さんは、今、各県に一人か二人いるかいないかという和傘職人の一人です。和傘とは、焼き物や漆器、染め物と同じように日本の伝統工芸の一つで、和紙と竹を材料にして作る傘のことです。一本出来上がるまでにとても時間のかかる、大変高級な傘です。「和傘作り」は、江戸時代から続く技術で、明治時代までは、どこの町にも必ず一人や二人職人がいたそうです。しかし、ものすごい勢いで日本に西洋文化が入ってくると、今私たちが日ごろ使っているような、作るのも簡単で値段も安い洋傘がいっきに全国に広まりました。そうして、昭和の初め頃には、和傘の生産量は、一番多かった時の1000文の1になってしまいました。職人の数も収入もかなり減ってしまい、生活は苦しくなったと言います。加藤さんは、和傘は大事な日本の文化だという誇りを持って作っていただけに、これには耐えられなかったそうです。しかし、洋傘は売れました。 結局は、家族が生活していくために、簡単に作れてよく売れる洋傘を中心に、商売せざるを得ない状況になってしまったのです。良い物を作ったとしても売れなければ意味がないと考えるようになった加藤さんは、和傘作りをやめようか続けようか決めかねていました。そんなある日、たまたま店の前を通りかかった外国のお客さんが「和傘は日本人の性格をとてもよく表していますね。工夫とこだわりがつまっています」と言ったのを聞いて、「あぁ、やめちゃだめだ」と、考え直したそうです。しかし、実際は、伝統を守り続けようとは思っていても、「私も作りたい」と言ってくれる人が現れないので、技術を残しようがありません。それに、たとえ現れたとしても、必要な技術レベルが高すぎるあまり、その人を一人前に育てることが難しいとも言われています。加藤さんは、「まだまだ元気だから、あと10年は大丈夫」と笑顔を見せてくれましたが、私はとても寂しい気持ちになりました。
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