谎言的马脚【噓のしっぽ】

谎言的马脚【噓のしっぽ】

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噓のしっぽ
 
「あっ、これって噓だな」
“啊,TA在说谎。”
 
はったりや見栄、前に言っていたこととつじつまが合わない話、小さなごまかし。いくら巧妙に隠していても、噓のしっぽがちょろりと見えてしまうことは、案外よくあるのです。そんなとき僕は、あっさりだまされます。
故弄玄虚或是大摆排场,跟以前说过的话相矛盾,试图蒙混过关,像这样的掩饰不管如何巧妙,谎言却还是会经常露出马脚。每当这种时候,我会选择干脆受骗。
 
友だちでも仕事関係でも、多少の噓はあって当然だと思っているので、噓と承知で受け入れてしまいます。「噓じゃないの?」と問いただすことは絶対にしないし、噓をついた人に対して失望したり、嫌いになったりすることもありません。
不管是交友或工作,或多或少都会存在谎言,我觉得这很正常。所以就算知道对方在说谎,我也会坦然接受,绝不会质问对方:“你在撒谎吧?”也不因为对方说谎而感到失望或讨厌对方。
 
僕は人格者ではありませんが、噓をつく人には噓をつかなくてはいけない理由があるのだろうと想像することはできます。やむを得ずにごまかし、取り繕いたい状況だってあるでしょう。
我并非是什么圣人,只是我会想象也许对方是有什么不得不说谎的苦衷,例如有些不得不欺瞒遮掩、试图粉饰伪装的状况,这也是有可能的。
 
その人と付き合うとは、その人を100%受け入れること。だったらその人の噓も、噓をつかなくてはいけない理由も、まるごと引き受けようと思うのです。
与某人交往,就是要百分之百地接受那个人。所以,就连那人的谎言,以及他不得不说谎的理由,我也会全盘接受。
 
仕事仲間でも友だちでも、相手を受け入れているという木の幹がしっかりしていれば、噓というのは多少の枝葉、ちょろりと見えたしっぽに過ぎません。
不管对方是工作伙伴还是朋友,如果把接受对方比作树干,那谎言就如同枝叶,只是一闪而过的尾巴。
 
たとえば部下の説明を聞いていて、噓だと感じたとします。そこで「絶対に違うだろう。俺の目は節穴じゃないんだ」と叱りつけたら、肝心な仕事が滞ってしまいます。
比如说在听下属报告时,听出了其中的谎言。这时如果当即怒斥“绝不是这样的吧,你当我睁眼瞎啊”,这只会耽误了正事。
 
それよりは噓ごと受け入れてしまい、そこから先にどう進んでいくか、本質に取り組む方法を考えたほうが、よほどいいと僕は思うのです。
与其发一通脾气,不如接受对方的谎言,进而去想接下来要如何进行,去思考厘清问题本质的方法,我觉得这样更有助于解决问题。
 
家族や恋人でも、最初から疑ってかかったり、噓を暴いて相手を責めたところで、関係は深まらず、誰も前には進めません。
与家人或恋人相处也是一样,如果一开始就抱着怀疑的态度,或者戳穿对方的谎言、指责对方,那彼此的感情就很难加深,双方都无法在这段关系中得到成长。

プライベートなら特に、相手の存在自体が大切なものなので、噓は受け入れたほうが自分も楽です。許すというより、さらっと受け流し、忘れてしまうというのに近いでしょう。
特别是在生活中,由于对方是自己重要的人,选择接受谎言,自己也会更轻松。这并非表示原谅与否,可能更贴切的说法是,淡淡地让事情过去,然后忘记它。

「だまされてあげる」とまでは言いませんが、相手の事情を思いやり、気にせずにいる愛情もある気がします。
我并不是指要做到“故意上当”的地步,只是我觉得体贴对方的处境,选择不去耿耿于怀,也是一种爱的表现。

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