2017年catti翻译资格考试 日语笔译三级
読解
文章三
外国の文化を摂取する場合に、異文化の個々の項目が、生活の中で意味を持ち、他の要素とどのような関連を持っているものかは、いやでも見えてくる。
吸收外国文化的时候,外国文化的各个方面在生活中拥有怎样的含义,和其他要素有什么样的关系都是必须面对的。
つもり文化の受容が体系的、全体的になるのである。
也就是说,在文化的接受方面是具有系统性和整体性的。
従って、これはもらうが、これはいらないというような自由はきかない。
因此,在文化的接受方面,这个接受,那个不接受,像这样的自由是无法实现的。
その代わり、外国文化が極端に美化されたり、理想化されたりする危険も少なくない。
换句话说,大多数外国文化存在着被极端美化、理想化的危险。
美しいもの、優れたものは、必ず醜悪なものと抱き合わせになっているものだということが体験的に理解されるからだ。
因为从自身体验中理解到美好、优质的东西必然与丑陋、劣等的东西相拥。
ところが、日本が一貫して行ってきたような高文化の間接受容の場合、なにをとるかはまったくこりらの自主選択に任されており、
然而,日本一贯实行高级文化的间接接受,想要吸收什么样的文化完全取决于自主选择,
当然良いものだけを取り入れたわけであるから、外国に対して醜悪さ劣等さを感じる余地がなかったわけである。
所以理所应当地只接收了好的东西,而丧失了对外国丑陋、劣等的文化的感知余地。
その上、取り込んだ知識なり製品なりを、勝手に日本社会の前提、日本文化の価値体系の中に位置づけることができたのだから、奇妙なことが起きないほうが不思議というものである。
而且,把吸收到的知识和产品等,随意地作为日本社会的前提,定位于日本文化的价值体系中,因此不发生奇怪的事反而是不可思议的。
すでに数年前のことになるが、欧米で青少年の情緒不安定の原因の一つとして、幼児期に母親が子供の自立を早めようと、あまり突き放した客観的な取扱いをすることが問題となった。
虽然已经是数年前的事了,母亲在孩子幼儿时期让孩子过早自立,用极其冷漠理性的方式对待孩子,这是欧美青少年情绪不稳定的原因之一。
たしかイギリスの学者が言い出したのだと思うが、子供をもっと抱いたり、あやしたりすべきだというのである。
大概是英国学者提出的,应该多抱抱孩子,多哄哄孩子。
そこでスキンシップ(skinship)なる新語まで造られた。
由此创造了亲肤育儿这个新词。
文字通り訳せば「肌のふれ合い」であろう。
按照宇面翻译,就是“肌肤接触”吧。
だがこれほど馬鹿げた外国学問の直輸入の見本はないと言ってよい。
但是,可以说这是引入国外学问的荒唐的范本。
日本の子供に必要なのは、もっと冷たく突き放すことである。
日本小孩需要的是更加冷淡地撇开关系的对待。
スキンシップの不足どころか、子供に母親が添い寝をし、父親が子供と一緒に風呂に入るなど、文字通り肌のふれ合いであふれているのである。
别说亲肤育儿不足,母亲陪着孩子睡觉,父亲和孩子一起洗澡等,如宇面所写般的肌肤接触到处都是。
私は中学生の男の子と母親が一緒に入浴するケースさえ知っている。
我甚至了解到有初中生男孩和妈妈一起洗澡的情况。
欧米では風呂の構造、バスルームに対する考え方の違いもあって、母親が中学生の男の子の背中を風呂で洗うなどということは考えられない。
在欧美,对于浴室的构造和想法与日本也是有差异的,他们无法理解母亲在浴室中帮已经上初中的男孩子洗背这样的事。
ぞっとすることなのである。
这是令人感到诧异的。
受験勉強中の息子、娘には家事も手伝わせない。
不让备考中的儿子和女儿帮忙做家务,
用事も言いつけない、母親はハラハラウロウロして、おやつを作りご機嫌をとる。
有事情也不说。母亲一个人忙得不可开交,还要做点心使孩子们的心情更为放松。
大学の試験はもちろん、入社試験にまで親が心配そうに付いて来る。
不仅仅是参加大学的入学考试,就连参加公司的考试,父母也会因为担心而跟去。
スキンシップどころが、乳離れを必要とするのが日本の親子関係であるのに、言うに事欠いてもっとスキンシップとは呆れる他わない。
虽然日本亲子关系中所需要的是独立成长,但过于注重亲肤育儿已经到令人吃惊的地步。
欧米ではこうだ、あちらではこうだの発想は、外国の文化項目を、それを生んだ社会全体の体系から切り離して、
不从整体性上考虑欧美所产生这些问题的具体状况,片面地把外国的文化项目从其产生的社会体系中分离出来,
ただひたすらに優れたもの、見習うべきものとして考えるという、およそ文化というものの本質を見ない思考形態なのである。
一味地把它作为优秀的、应该学习的事物来考虑,这大概是一种无法看到文化本质的思维方式。
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