女生徒(六)

女生徒(六)

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 お母さん、誰かの縁談のために大童《おおわらわ》、朝早くからお出掛け。私の小さい時からお母さんは、人のために尽すので、なれっこだけれど、本当に驚くほど、始終うごいているお母さんだ。感心する。お父さんが、あまりにも勉強ばかりしていたから、お母さんは、お父さんのぶんもするのである。お父さんは、社交とかからは、およそ縁が遠いけれど、お母さんは、本当に気持のよい人たちの集まりを作る。二人とも違ったところを持っているけれど、お互いに、尊敬し合っていたらしい。醜いところの無い、美しい安らかな夫婦、とでも言うのであろうか。ああ、生意気、生意気。

 

 おみおつけの温《あたた》まるまで、台所口に腰掛けて、前の雑木林を、ぼんやり見ていた。そしたら、昔にも、これから先にも、こうやって、台所の口に腰かけて、このとおりの姿勢でもって、しかもそっくり同じことを考えながら前の雑木林を見ていた、見ている、ような気がして、過去、現在、未来、それが一瞬間のうちに感じられるような、変な気持がした。こんな事は、時々ある。誰かと部屋に坐って話をしている。目が、テエブルのすみに行ってコトンと停《と》まって動かない。口だけが動いている。こんな時に、変な錯覚を起すのだ。いつだったか、こんな同じ状態で、同じ事を話しながら、やはり、テエブルのすみを見ていた、また、これからさきも、いまのことが、そっくりそのままに自分にやって来るのだ、と信じちゃう気持になるのだ。どんな遠くの田舎の野道を歩いていても、きっと、この道は、いつか来た道、と思う。歩きながら道傍《みちばた》の豆の葉を、さっと毟《むし》りとっても、やはり、この道のここのところで、この葉を毟りとったことがある、と思う。そうして、また、これからも、何度も何度も、この道を歩いて、ここのところで豆の葉を毟るのだ、と信じるのである。また、こんなこともある。あるときお湯につかっていて、ふと手を見た。そしたら、これからさき、何年かたって、お湯にはいったとき、この、いまの何げなく、手を見た事を、そして見ながら、コトンと感じたことをきっと思い出すに違いない、と思ってしまった。そう思ったら、なんだか、暗い気がした。また、ある夕方、御飯をおひつに移している時、インスピレーション、と言っては大袈裟《おおげさ》だけれど、何か身内にピュウッと走り去ってゆくものを感じて、なんと言おうか、哲学のシッポと言いたいのだけれど、そいつにやられて、頭も胸も、すみずみまで透明になって、何か、生きて行くことにふわっと落ちついたような、黙って、音も立てずに、トコロテンがそろっと押し出される時のような柔軟性でもって、このまま浪のまにまに、美しく軽く生きとおせるような感じがしたのだ。このときは、哲学どころのさわぎではない。盗み猫のように、音も立てずに生きて行く予感なんて、ろくなことはないと、むしろ、おそろしかった。あんな気持の状態が、永くつづくと、人は、神がかりみたいになっちゃうのではないかしら。キリスト。でも、女のキリストなんてのは、いやらしい。

      妈妈正为某人的亲事忙得不可开交,一大早就出门去了。从我小时候起就是这样,妈妈对别人的事情总是尽心竭力,我都已经习惯了,但妈妈真的是从来都在忙个不停,到了令人惊讶的程度。佩服佩服。爸爸就只顾着读书学习,所以妈妈连爸爸那份儿也一力承担了。爸爸总是远离社交,妈妈却建起了一个舒心的小圈子。他们两人各有不同之处,却又能做到互相尊敬。可以说是毫无丑恶之处、美好和乐的一对夫妇吧。啊,说大话了,说大话了。


      我坐在厨房门口等着酱汤热好,心不在焉看着前面的杂树丛。忽然觉得这事儿好像在以前也曾发生过,在今后也会再次发生,就这样坐在厨房门口,和现在一个姿势,一边想着完全相同的事情,一边看着前面的杂树丛。这心情很奇特,过去、现在和未来,仿佛在一瞬间的工夫儿里全都感受到了。类似的事情时有发生。正和人坐在屋里说着话呢,眼睛扫到桌子角落那里时吧嗒一下停住,再也不动。只有嘴巴还在动。这个时候往往就会产生奇怪的错觉。之前某个时候也曾处于这样的状态之中,正在谈着同样的事情呢,也是忽然盯着桌子角儿就不动了。而且今后也是一样,现在的事情依然会原原本本再次发生在自己身上,我对此十分确信。走在遥远乡间的小路上时,不管这路多么偏远,都会觉得自己之前肯定走过这条路。边走边摘下路旁的豆叶,就这么一个动作,也会觉得此前就是在这条路上的这个地方,也曾摘过同样的叶子。我还相信,不管今后多少次地走在这条路上,再走到这个地方都会摘下这些豆叶。还有下面这样的事情。有一次正在泡澡呢,忽然盯着手看起来。于是心想,很多年以后再泡澡的时候,一定会记起曾有这么一个时刻,不经意间盯着手看,然后边看还边觉得心里咯噔一下。这样想来想去,不由得心情黯淡下来。还有,某个傍晚,把米饭盛到饭桶里去时,忽然觉得有了灵感——这么说是有些夸张,有什么东西在全身倏地一闪而过,怎么说好呢?我想把它描述为哲学的尾巴。被其袭击过后,包括头部和胸部在内,所有部位都变得透明,仿佛觉得能够轻松、坚定地活下去了,就像默不作声小心翼翼地把凉粉拨出来时那份充满弹性的感觉,好像就这样随波摇摆即可美丽而轻松地过完一生。这样的时刻哪里还谈什么哲学。像偷东西的猫那样不出声地活下去,这类预感岂止不能让人满意,简直是可怕的。如果长期保持那种精神状态,人不就变得如同神明附体一般了吗?基督。不过,女基督之类的可就讨厌了。

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