ラジオでも鞄でも、自転車でも同じです。この世に存在するもので、壊れないものはありません。
「もうさんざん使ったし、新しいものを買ったほうが安上がり」というのが世の流れかもしれません。捨てることは簡単ですし、誰も文句を言いません。
それでも僕は、壊れたものを修理して使うほうが好きです。ものは壊れるという大前提があるから、そこがスタートだと思います。処分したり新品と交換するのではなく絶対に直そうと決め、手をかけて修繕することで、ようやく自分のものになっていく気がするのです。
人とのつきあいもこれと同じです。ぶつかり合って摩擦がおき、壊れたりひびが入ったときがスタートだと思っています。
なごやかにしているだけのかかわりなど、浅いものです。トラブルが生じ、気持ちをむき出しにして傷つけあい、これまでのつきあいが壊れたとき、初めてその人との関係が始まるのです。
人の気持ちはものより壊れやすくて、何回でも壊れます。そのたびに僕たちは、分かれ道に立つことになります。
いさかいから逃げ出し、この人との関係を捨ててしまおうか。それとも、ひるむことなく正面から向き合い、懸命に丹念に関係を修繕しようとするのか——。
僕はいつも後者を選びます。それはものを直すのと同じく、いや、はるかにタフな試練ではあります。体裁のよい顔をかなぐり捨て、言いにくいことも恥ずかしいことも言葉にし、ときには子どもみたいに泣きながらその人と向き合う。これは生半可な気持ちではできません。
それでも傷やほころびがていねいに直されたとき、きっと関係は一段と深く、豊かなものになっているはずです。おだやかで満ちたりた気分が味わえるはずです。
豊かさとは目に見えるものではなく、そこに隠された物語だと思います。
たとえば十年も修理を繰り返して履いている靴は、僕にとってただの靴ではありません。最初にかかとが磨り減った旅の思い出、数年後につま先の縫い目がほころびたときの出来事、そのたびていねいに縫い直してくれた職人さんの心、そんなあれやこれやが詰まった宝物です。誰にも話はしないけれど、自分だけの物語が宿れば、どんなに高価な新品よりも価値があるのではないでしょうか。
人とのかかわりも、「あんなこともあったけれど、自分たちは乗り越えてきたな」と思いだせる出来事があればあるほど、豊かになります。
恋人時代から一度も喧嘩をせず連れ添っている夫婦がいたら、なんだかさびしいし、不思議な気がするのは僕だけでしょうか。
ものは経年劣化で磨り減ることもありますが、人とのつきあいの場合、馴れ合いになって摩擦が起きないことのほうが危険です。
壊れることが大前提だと思えば、真正面から相手にぶつかっていくこともできます。
大勢ではなくても、そんな相手が何人かいれば、豊かな人生となるはずです。
松浦弥太郎 『今日もていねいに。』
在听